令和と手帳と精神障害

 

2020年になってしまったんだなぁということをぼんやりと考えながら、かゆい目を擦りながら、今日まで生き延びている現実をゆっくりと頭の中で反芻させる。世界中で疫病が跋扈する様を横目に、自分だけが置いてきぼりを喰らっているような疎外感を薄っすらと覚える。まだ自分が社会の一員に慣れている気がしない。

 

初めて精神科に行ってから6年経った。大学を卒業してからもう何年だろう。過去を振り返っても碌なことがない。憎悪の印象が強すぎて歪んでしまった記憶からはため息しか吐き出せない。もういい。忘れよう。思い出したかったらここで遡ればいい話なのだから。

 

数か月前から病院を変えた。

 

2018年にストラテラを処方してもらった医者とは相性が悪く2ヶ月も通院が続かなかった。通院をやめた後に今の職場を見つけ、楽しく仕事が出来たため精神的にもどん底に落ちることもなく、1年ほど病院には行っていなかった。このまま逃げ切れるかと思った矢先、例の殺人的な情緒に襲われ、鬱もひどくなってしまった。

 

「手帳、取ってみませんか?」

 

かれこれ2年以上お世話になっている支援機関の担当職員の方から、障害者手帳の取得を勧められた。3級でも持っていれば住民税や所得税が減税される。聞いてみれば特にデメリットはないということだったので、取得することを決めた。

 

精神の障害者手帳を申請するには、対象となる精神疾患で診察を受け、診断書(有料)を書いてもらい、かつその初診日から6か月経っていないといけない。私は病院を転々としており、6ヶ月も同じ病院で診てもらったことがないので焦った。2018年に行った病院なら、1年ぶりでちょっと気まずいが6ヶ月の条件はクリアする。しかし、なんたって相性が悪く診断書を親身に書いてくれるような医者ではない。悩んだ挙句、担当職員の方の同伴でとりあえず再び診察に行くことにした。

 

結果的にはその医者に診断書を書いてもらうことはなかった。どうにも、自分の中で不信感を拭いきれなかった。診察では再びストラテラが処方されたが、処方薬をもらうことはなかった。きっと、もう会うことはないんだろう。

 

ふりだしに戻ってしまった。頼れる医者はおらず、精神はガタガタで、手持ちの薬はいくつかあるものの、お先真っ暗。やっぱり病院向いてないなと思っていたら、担当職員の方から受け入れ実績のある病院で診てもらえないか聞いてみますと言われた。なんせ予約がいっぱいで、初診も受付を停止しているためいつになるか分からないと言われたが、何もしないで待つよりは良いだろうということで、お願いすることにした。

 

とはいえ新たな病院が相性が良かったとしても、手帳申請ができるのが6ヶ月後というのはなかなかにネックだった。一番の心配は通院費だ。どうにかならないかと調べていたら、初診日は別の病院であっても可、という記述を見つけた。つまり、6ヶ月間同じ病院に通い続けていなくても、別の病院で6ヶ月以上前の診察の記録が残っていれば申請はできる、ということらしかった。

 

ネットの情報だけでは不安なので担当職員の方に調べてもらったところ、診察時の主訴が同じであれば問題ない、という回答を得た。ただし、私の場合は通院自体が不定期なということもあり、通院していない期間は生活に問題がなかったと判断される可能性はあると言われた。つまり、申請してみないと分からないということだった。

 

季節も変わった頃、紹介先の病院の予約が取れたと連絡が来た。そうして初めて行ったのが数か月前の話だ。気の合いそうな医者で、親身で、優しかった。発達障害の確定診断も出来る病院だったので、鬱だけでなくADHDの話も聞いてもらえた。あらかじめ手帳の取得を希望していることも伝えていたため、初診時に申請用の診断書を渡し、2回目の診察で記入済みのものを渡してくれた。その診断書を持って役所へ行き、自立支援と手帳の申請をした。すんなりと受理されたが、内心不安だった。それでもやるべきことはやった。達成感はあった。

 

病院ではADHDは比較的軽度だね、と言われた。仕事で著しく困難なことはあまりない。もちろんある程度のミスはあるが許容範囲内だ。鬱と不眠のほうがひどかった。眠くなる作用があるという理由でインチュニブが処方された。ADHDの薬だ。効けば頭の中が整理されスムーズにできるようになると言われた。2週間飲んだが日中も眠くて仕方なくなってしまったのでやめてもらった。体が慣れていけば眠気も治まるかもしれないが、ちょうど仕事が繁忙期だったので時期的にもあまりよくなかった。その後SSRIを処方され、今も飲み続けている。気分が落ち着いて、無価値観に襲われることが減った。興味も回復してきた。今までの薬はなんだったのかと言いたくなるくらいよく効いている。ようやく自分に合う薬が見つかった。やっとたどり着いた…。

 

仕事が繁忙期だったこともあって、1日7時間勤務の日が度々あった。以前1日8時間勤務なんてできやしないと言っていたのに8時間働いている日さえあった。もちろん慣れない長時間勤務で集中力も切れて使い物にならない状態ではあったが。それでも不思議とつらくはなかった。ずっと仕事が楽しい。

 

職場の先輩に「発達障害なんです」と打ち明けた。「でもこれまで通り接してください」とも言った。個性の延長なら、言い訳にはならない。言い訳をするのは頑張れないときだけでいい。今は頑張れる。

 

「あなたの手帳引渡日は―――」

 

手帳発行の通知が来た。長かった。長かった。ずっと胸の真ん中にあった生きづらさが少し溶けた気がした。感慨深さと、安堵と。不安はなかった。精神がおかしくなっちゃってもゴミじゃない。知ってた?

 

自分が求めていた支援がなんだったのかはまだ分からない。胸を張れるような夢や目標が見つかったわけでもない。薬を飲んでいても時折虚しさを感じることはあるし、自己肯定感はたいして上がってない。3年後さえ分からない。10年後に生きてる自信はない。40年後くらいには死んでいたいとさえ思う。

 

それでも、今はまだ生きていたい。もっと仕事を覚えたいし、役に立ちたい。こんな自分でも社会に居場所があるって、信じていたい。