呪詛のソ

母親から心ない言葉で殴られ、殴られ続け、理不尽で傲慢とも言えるその仕打ちから自分を守るために見えない壁と心の鍵をかけたはずなのだけれど、どうやら外耳の隙間から入り込んでしまったらしい。なんだかとても心が痛い。つらいんだ。

 

愛がないとか、Iがないとか、哀しかないとか。

 

私が金を無心したことは(記憶上おそらく)ないのだが、母からやたらと言われる。「金返せ」と。高校までは公立だった。塾に少し通った時期はあったが、都内の一般中流の平均程度だろう。平均なんて知らないが。大学進学を決めるときにも特に何か言われたことはなかった。周りが奨学金の話をしているのを聞いて、うちは平気なのだろうかと考えたことはあったが、親からは何も言われなかった。

 

学校に行けなくなったうつ真っ盛りの時期、部屋で寝込む私を見て母は「ずる休みをするために金を出したんじゃない」と吐き散らした。気晴らしにゲームをしてると「ゲームをさせるために金を出したんじゃない」と言う。

 

友人のおかげもあり、不登校時の影響はほとんどなく成績は良かった。それでも母は不満だったらしい。

 

大学卒業後はいろいろあった(記事)が、今は日本社会で働くことの意味を考えながら自分のペースで小遣い程度を稼いでいる。実家の世話になっているが、それでも食費以外は自分で出している。初心者向けよりちょっと良いアコギも買ったし、PS4だって自分で買ったさ。

 

気付いたかもしれないが、私はゲームが大好きだ。でも、母はゲームが大嫌いだ。勝手に部屋を覗いては「ゲームしかしてない」「そんなことする暇あるなら働け」と声を荒げる。テレビを観てる(振りをしている)ときは無言なのだから馬鹿らしい。趣味を取り上げたら働くとでも思ってるのだろうか。趣味すらなくなったら消費活動をするわけないじゃないか。消費するものがないのに働くわけないじゃないか。バカ野郎。

 

比較的落ち着いてるときに「バイトして100万くらい稼いだら?」と言われた。無言を返した。今が精一杯だということに気付いてないのだ。社会から落ちぶれて、社会を恨んで、それでもどうにか社会と繋がりを持ちたくて、必死に足掻いて資本主義の崖っぷちに掴まってることに、微塵も気付いてないのだ。別に気付いてほしいわけじゃないし、教えてあげたいなんてこれっぽっちも思わないが、健常者の母にはこの苦悩の存在すら考え至らないことに、軽く眩暈がした。

 

母は自分に呪いをかけた。世間体に恥じない存在でいること、核家族の模範でいること、自分の描く理想通りの家族でいること。失敗は認められない。私も呪いをかけられた。母の形代にさせられること。私の失敗は、母の失敗。形代としての役目を果たさない私を母は叱責する。できないのなら燃やすぞと言わんばかりに、恐怖政治を布こうとただただひたすらヒステリックに叫ぶ。能がない。なにもない。

 

母は気付かない。私が社会の常識に異議を唱える人間であること。

母は気付かない。私は母とは違う人間であること。

母は気付かない。私だって一生懸命生きようとしていること。

母は気付かない。自分が人として欠けていることに。

 

産んでもらって育ててもらった自分の母親にそこまで言う資格あるのか?とか、そんなこと言いながら親の金で暮らしてんだろとか、言われるんだろうな。

 

金さえ出せばどんな罵詈雑言を吐き捨ててもいいというその考えに反吐が出る。雨風を凌げる場所と食事さえ用意すれば人格を否定して自分の言いなりに出来る?現代日本でそんな奴隷制度が通用するとでも思っているのかよ。とんだレイシストだ。

 

「そんな(定職で働かずにいる)ことになるなら大学なんて行かなきゃよかったじゃん、金の無駄」と断言された。他の真っ当な人間の学歴差別をするつもりはないのだが、あぁ、これが高卒の無知の無知の極みだと思った。大学は就職予備校ではない。勉強をする場所だ。私にとってかけがえのない友人と出会い、専門性の高い学術研究に触れ、世の中を学問の力で発展させていくために知識と知恵を身に付けるために費やした人生の4年を、母は「金の無駄だった」と一蹴したのだ。それがどれだけ愚かな発言なのか、本人は知る由もないのだろう。なぜなら、高卒だから。バブル期の、高卒だから。

 

生活苦を理由に高卒を選んだ友人がいる。一概に高卒が不利になるなんて、どの口が言えようか。もう後輩に指導する立場の彼女は私より立派な社会人だ。ただ、かといって学士という経歴が、大学を卒業したという事実が無に帰すわけではないと思う。というか、人生で得たものを何で他人が無駄だと断言できるんだ。おかしいだろ。

 

母があともう少し、人の話を聞ける人間だったらどんなによかっただろう。もう私の言葉が届くことは、ないんだろうなぁ。私の思いが伝わることは、一生、ないんだろうなぁ。

 

祖母に言われた。「みんな人の話を聞かない子供だったんだよ」祖母のことは好きなので、少し胸がざわついた。続けざまに「父親(祖父)は酒を飲むと手が付けられなくて、人の話を聞かない人間だったよ」と言われた。あぁ、みんなそっちに似たのか。

 

来月が祖父の一周忌だ。そして、私の誕生月だ。

何の因果だろう。きっと何でもないんだろう。ただの偶然だ。

 

母の呪いをかけられた私が、呪詛を吐く。恨みつらみを、かなしい事実を、受け止めきれないから吐き出してしまう。ネットの海へ放流された呪詛はどこに辿りつくのだろう。こんな方法しか選べない自分が悲しい。誰かの心を穢してしまうことも悲しい。母が呪いをかけてしまったことも、その呪いを解くことを諦めてしまった私の弱さも、哀しい。

 

鋭利な言葉で傷つけらると死を考える。私の死。母の死。父の死。

 

遺書なんて残すのも面倒だ。お前のせいだ。死んでやると言って目の前で死んだら母は何を思うんだろう。勝手に気が狂った人間の自殺だと思うのだろうか。私の盛大な失敗で母は過ちに気付くだろうか。

 

私の人生をなんだと思ってるんだと叫びながら頸を絞める想像をしては、だんだんと鮮明になってゆくイメージに取り憑かれそうになる。いつかのニュースで家族内の怨恨が原因の殺人事件についてやっていた時、母は笑って「殺さないでよ」と言った。全然笑い事じゃないんだけどなぁと思いながら、私は「わかんないよ」と答えた。

 

この期に及んで父親にまで飛び火したのかと思われるかもしれないがそれは違う。いや、正確に言えば違う訳ではないのだが、そもそもはじめの火元は父だった。頭がおかしいので話が通じない。今思えば言葉を聞き取ってくれるだけまだ母よりマシかもしれないが、母が週間隔ぐらいで爆撃してくるのに対して、父は理由もなく毎日ピストルで撃ってくる。多少の応戦ができるという意味ではマシだが、そもそも応戦する必要性がない方がいいに決まってる。今は物理的に距離が離れてるから問題ないのだが、近く帰還するかもしれず憂鬱でしかない。はじめに明確な殺意を覚えたのが父だというのに。ということで、母に加えて父まで乱入してきたら私は理性を保てる自信がない。

 

死ぬとか殺意とか、中二病かよwで済んだら、いいんだけどなぁ。

 

核家族が幸せだなんて幻想だ。

幻想を担がされて人生が終わるなんて冗談じゃない。

無為に人格を否定され、人生を否定され、生活まで脅かすような人間の近くに誰が好き好んでいると思うんだろう。

自立できるのならとっくにしてるし、その暁には一切の連絡手段を絶ちたいぐらいだ。

 

 

家族だから愛してるだなんて、思い上がりもいい加減にしろよ。

誰も愛してなんかいないんだ。

 

砂上の楼閣で家族ごっこか?

自分が得られなかったものを勝手に他人に託して期待して求めるな。

ふざけるな。私の人生だ。