《親編》入社2日目の会社を休んだ私の話を聞いてくれ②

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背景2といったところ。

 

中学生くらいから定期的に訪れる親しい人に対しての攻撃的な衝動や抑うつ状態があったので大学2年くらいのときに病院に行った。医師曰く、PMS(月経前症候群)の中でも特に症状がひどくて、希死念慮に襲われることも多々あり日常生活が送れないほどなのでPMDD(月経前不快気分障害)だろうと言われた。薬を処方され調子がよくなった頃に調子にのって(一応医師に確認はして)断薬したら忘れた頃にぶり返した。

元から精神状態がふらつきやすいタイプなのだ。人といるときはかなり安定してることが多いため、普段の状態だけ見れば元気じゃんと言われるだろうが、一人でいるとどんどんマイナスに針が偏っていく。

 

PMSは同じ女性であっても理解されづらい」とはその通りで、一番身近な母親から「そんなのは甘えだ」と言われた。

「自分も似たようなことがあるし、それを我慢してる」と。

この人に何を話しても、きっとこれ以上分かってくれることはないだろうと悟った。

なんでこの現代で、解決法が目の前に提示される現代で、わざわざ我慢をしなければいけないのか。医療費だったら出してくれるのではと報告した自分が、なぜ非難されなければならないのか。

どんなに科学的な根拠を提示しても、「そんなもの知らない。私が知ってる〇〇はこうだ」と、自分の信じてること以外は断固として拒絶する人種が目の前にいることに失望した。そしてそれが自分の母親だということに、決して小さくはない衝撃を覚えた。

 

以降ことある毎に、母の視野の狭さや常識への囚われを意識してしまっては失望した。この負債は貯まっていく一方で、あるときを境に母への尊敬の念はぱったりとなくなってしまった。人として、人間として、もうこの人の価値観にはついていけない。そして、私の価値観を否定することしかできないこの人間にもう関わりたくない、と。

母が大好きだった。今まで育ててくれたことを考えればそれは自然な感情で、料理がうまくて、とても活動的で、元気のある人柄は自分の母親として誇らしかった。のに。

 

涙がでてくる。

昔から手をあげる人ではあったが、私はそれを今更どうこう言おうとは思わない。どんなに殴られても私は殴り返さなかったが、心の中で呪っていたからおあいこだ。

でも今の状況は違う。前述のPMDDから慢性的な抑うつになって不登校が続き、病院へ行って医師からも中等度のうつだと言われたという診断結果を告げても、見せても、「でもあんたは甘えだ」と言ったあなたを。私は最低だと思う。

母はよく言った。「20年以上も見てるんだから、自分の子供のことくらい分かる」と。ならこうして部屋に引きこもって泣いてる私をどうしてそんなに罵倒することができるのか。

「そうやってなにもしないで引きこもって」

「家でひきこもるために学費を出したんじゃないんですけど」

「それなら学校やめれば?学費がもったいない」

「あんたにいくら金かけたと思ってんの?」

他人に言われるならまだ分かる。内情を知らないやつなんだと分かるよ。でもあなたは違うでしょ。私の一部始終を知ってるでしょ。なのになんでそんな表面的なことしか見てないの。

 

私は決して成績が悪い方ではない。むしろ定められた範囲内ではかなり上位の成績をとれた。成績首位の人と並んだことだって少なくない。それを私は自慢げに母に報告していた。

頭が悪いわけじゃないし、勉学だって怠けてるわけではないし、故意に誰かを傷つけるような人間じゃないって、20年以上一緒にいるのに、なんで知らないの?

どうして今なにもできなくなっている私をどうして「甘え」「我慢知らず」と罵倒することしかできないの?

なんで私のことを信じてくれないの?

 

恐怖政治しか知らない母親なんて最低だ。

 

学校を何ヶ月も休んだ。ちょいちょい行ってはいたけど、少し顔を出すくらいだった。うまくいかない就活と進まない卒論でもうなにもできなかった。

母はそんな私の心配なんて微塵もせずに、ひたすら罵倒するだけだった。

 

はじめは言い返したりもしたけれど、真っ向から人の意見否定し、人格攻撃をするような人としての品性をもたない人間に、もうなにを言っても無駄でしょう。

相手の意見を聞かない相手との議論なんて不毛な消耗戦でしかないじゃない。

 

無視してても感じる徒労に、その場を離れようとすると「そうやってすぐ逃げる」と母は言う。

「嫌なことがあるとすぐ逃げ出す」

そうだよ。私は逃げるよ。

 

どんなに論理的な会話をしようとしてもそれをあなたがぶち壊して勝手に感情的にヒステリックになり感情論と世間体だけをぶつけることしかせず、私の話を微塵も聞こうとせず意見のぶつけ合いどころか私をサンドバックかなにかにしてひたすら殴り続けることしかしないんだもの。

罵倒の中で自分の尊厳を保ち続ける方法を私は知らないから、逃げるんだよ。

だって他に方法がないんだもの。

そんなことも分からずに言葉の暴力をし続ける人と「会話」なんてできないよ。ましてや「建設的な会話」なんて。

 

母は理想の娘を押し付けようとしてくる。そしてその理想は中身の伴わない人形であることを私は知ってる。姿形が理想であれば、どんなに醜くてもいいのだろう。だから私の感情も気持ちも心も決して理解しようとはしない。

 

そんな母親の愛情を望むのは愚かだという声が聞こえる。

それでも母を信じたいと思っていた時期もあったかもしれないが、もう無理だろうと。

親子と言えども所詮は他人なのだから、と。

 

 

《過去編》入社2日目の会社を休んだ私の話を聞いてくれ①

今日、本日、TODAY、私は入社2日目を迎える。

朝早く起きて、準備をして、着替えて、会社を休んだ。

自分がどうしようもない人間だなんてそんなことは分かってるから、せめて話を聞いてくれ。

自己弁護、言い訳、そんなものは聞く価値がないと言わずに。

迷惑しかかけない、我慢のできない、最低な人間の、甘えでしかない、そんな人間だけど。

 

話を聞いて。

きっと今日のことをいきなり話し始めても「あっそう。」で終わると思うから、背景を先に書きます。

 

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大学を卒業後した私はアルバイトを始めた。

これがまた大当たりで、バイトは初日から楽しくて仕方なかった。厳しくも優しい社員さん、おもしろいバイトの先輩達、器の大きい店長。これまでバイトが楽しいなんて思ったことは一度もなかった。だからどのバイトも3ヶ月も持たなかった。

 

初めてのバイトは高校生のとき。入って2ヶ月くらいでやめた。理由は部活に入ったから。店長に辞める意思を伝えるとこう言われた。

「お前、続けるって言ったよな?」

ああ、そういえばそんなことを言ったかもしれないが、頭の中では注釈がついていた。

「※続けられれば」

当たり前だろう。辞める理由がなければ続けるさ。でも辞める理由ができてしまったのだから仕方ないじゃないか。

「・・・いや、いい。分かった。」

数分後、店長はさっきとは打って変わって退職を承諾してくれた。

 

2つめのバイトは大学1年生のとき。ファミレスのキッチン。10万円くらいもらったのでこれもおそらく3ヶ月弱くらいで辞めた。

「辞めたいですって、理由は?」

「なんか違うなって・・・」

「なんか違うってなんだよ(苦笑)」

黙々と、刻々とする仕事はどうも性に合わなかったようだ。店長の反応を見て、言葉を選ばずにそのまま言ってしまったことが少し気まずかった。それを変えようとは思わなかったが。

店長は少し悩んだようだったが、働く意思のない者を置くのは得策ではないと気付いたのだろう。

「・・・わかった。」

 

3つめ、飲食店のキッチン。2ヶ月くらいかな。

他のスタッフはDQNの集まりだった。店の裏で高校生がタバコを吸って酒を飲んで。床に落ちた食材をそのまま皿に盛り付けてしまうような人達の集まり。

ちょうど入って1ヶ月経つか経たないかくらいのときに店長が失踪した。理由は知らないが円満退社ではなかったのだろう。マネージャーがヘルプで入りなんとか回そうとしていた。もう一人の社員のおじさんも愚痴をこぼしていた。

仕事内容は食材の盛り付けと調理。自分はこれを仕事にしてはいけないと気付いたのはこのときだった。ひたすら時間に追われ、同時にいくつも調理をし、クレームが入ればまた1から作り直さなければいけない。過酷だった。つらかった。

もともと料理をすることは好きだ。じゃなかったらキッチンのバイトなんて応募しない。家でお菓子を作ったりするのが好きだった。レシピ通り作るより、ちょっとアレンジして着色したりするのが好きで、緑色のパンを作ったりしてた。材料が変身することに感動を覚えた。

でも調理は違う。ひたすらマニュアルどおりにこなしていかなければならない。作業ゲーだ。しかもタイムアタックとくる。私はストーリーとサブクエを楽しむタイプだから、やっぱり性に合わない。

職場環境はぐだぐだ、他のスタッフとの人間関係も難しい、仕事内容への圧倒的不適合。ちょうど年度末だったので、

「新しい時間割が出たら連絡します」

といってそのまま辞めた。

 

4つめ、塾講師。3ヶ月くらい。

心機一転、飲食以外の初めてのバイトだった。コマ時給もいい。他のバイトも真面目そう。でもダメだった。講師1人生徒2人のタイプだったがダメだった。

致命的なほどに並行作業が出来なかった。{生徒の興味・意欲度、講師に対しての態度、問題の難易度、時間配分、答え合わせの有無}を常に考えながら× 2 は難易度が高すぎた。もはや一人でもうまくいくか怪しい。

得意科目は理科と国語だが需要は常に英語と数学。中学生くらいなら・・・と思っていたが受験組の英数はとても自分に教えられる範囲にない。授業は真面目に受けていたが復習とかをするタイプではなく、試験前に詰め込んで試験後にはなにも残らないタイプの自分にじっくり教えられる知識はなかった。

研修?そんなものはない。不安があるなら自主的に無給でやればいい。教師をはじめ労働法に必死に抗う教育界隈の賃金体型。担当コマ以外は賃金が発生しないのがプチブラックこと塾バイトだ。ザ・ブラックは学校の先生ね。

残念ながら無賃で頑張ろうなんて思えるほどのやる気も熱意もない。塾長に相談したが望むような回答はない。まあそうだろう。そのやり方に従ってくれる奴隷のような人材しかいらないのだから。

授業に対して不安しかない。しかしその不安を取り除くこともできない。もう自信もなにもない。

バイトに行きたくなくて仕方がなかった。心の中でずっと「いやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだ」と叫んでいた。ストレスという物体を無理矢理押し付けられている感覚。昔から「バイト行きたくないなぁ」「やだなぁ」「なんでシフト入れちゃったんだろう」というストレスは感じていたが、ここまで増大するのかと驚いた。本能が警告を出してる感覚。

もうこれ以上働けない。そう思った私は塾長に伝えた。

「小学生の担当にしてください」

対して、塾長が出した結論は―――――

「これ、来月のシフトね」

渡されたシフト表には受験生を担当する自分の名前。しかもコマ数が前月の3倍はある。

「(あ、これだめなやつ)」

次のコマを控えていたが耐え難いストレスに早退した。その次のバイトを体調不良で休んだ。その次には満を持して無断欠勤。直後に電話がかかってきたが、もちろん出ていない。それ以降はなにもなかった。

 

「なんかダリーからバックれたい」という気持ちは働いてる人なら誰でもあるだろうし、それでも世間体や賃金や信用を失うことを考えると普通はやらないことで、常識的にありえない、のだ。

 

世間はそう言うのだ。

 

5つめ。某弁当屋。1ヶ月かも2ヶ月かも覚えてない。

お金がない。自宅の近くでスタッフの募集をしていた。キッチンはもうやらないと思っていたが今度は販売もある。だからちょっと違うだろう。やってみよう。応募した。受かった。キッチンの仕事は想像通り。販売もまぁ、レジだよね。1つめのバイトでもレジをやったなぁと思いながら、割と苦闘した。違う弁当のボタンを押して請求金額を間違えて怒られた。あちゃーと思いながら、厨房に戻ってからあげを揚げた。

これ以後のことは本当に、驚くほど記憶がない。思い出せない。こんなこと本当にあるのか・・・と思うくらいだ。人体の不思議に思いを馳せる。気がつけば私はバイトを辞めていた。辞めますと言った記憶がないのでおそらくまたバックれたんだろうが。

 

それから大学を卒業するまで、バイトはしなかった。

卒論のこともあったし、就活もあったし、そんな暇はどこにもなかったし、そもそも大学4年の前半はうつで不登校だったし。

 

ある程度、私という人間像が作れたと思うので、次に続きます。

 

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