令和と手帳と精神障害

 

2020年になってしまったんだなぁということをぼんやりと考えながら、かゆい目を擦りながら、今日まで生き延びている現実をゆっくりと頭の中で反芻させる。世界中で疫病が跋扈する様を横目に、自分だけが置いてきぼりを喰らっているような疎外感を薄っすらと覚える。まだ自分が社会の一員に慣れている気がしない。

 

初めて精神科に行ってから6年経った。大学を卒業してからもう何年だろう。過去を振り返っても碌なことがない。憎悪の印象が強すぎて歪んでしまった記憶からはため息しか吐き出せない。もういい。忘れよう。思い出したかったらここで遡ればいい話なのだから。

 

数か月前から病院を変えた。

 

2018年にストラテラを処方してもらった医者とは相性が悪く2ヶ月も通院が続かなかった。通院をやめた後に今の職場を見つけ、楽しく仕事が出来たため精神的にもどん底に落ちることもなく、1年ほど病院には行っていなかった。このまま逃げ切れるかと思った矢先、例の殺人的な情緒に襲われ、鬱もひどくなってしまった。

 

「手帳、取ってみませんか?」

 

かれこれ2年以上お世話になっている支援機関の担当職員の方から、障害者手帳の取得を勧められた。3級でも持っていれば住民税や所得税が減税される。聞いてみれば特にデメリットはないということだったので、取得することを決めた。

 

精神の障害者手帳を申請するには、対象となる精神疾患で診察を受け、診断書(有料)を書いてもらい、かつその初診日から6か月経っていないといけない。私は病院を転々としており、6ヶ月も同じ病院で診てもらったことがないので焦った。2018年に行った病院なら、1年ぶりでちょっと気まずいが6ヶ月の条件はクリアする。しかし、なんたって相性が悪く診断書を親身に書いてくれるような医者ではない。悩んだ挙句、担当職員の方の同伴でとりあえず再び診察に行くことにした。

 

結果的にはその医者に診断書を書いてもらうことはなかった。どうにも、自分の中で不信感を拭いきれなかった。診察では再びストラテラが処方されたが、処方薬をもらうことはなかった。きっと、もう会うことはないんだろう。

 

ふりだしに戻ってしまった。頼れる医者はおらず、精神はガタガタで、手持ちの薬はいくつかあるものの、お先真っ暗。やっぱり病院向いてないなと思っていたら、担当職員の方から受け入れ実績のある病院で診てもらえないか聞いてみますと言われた。なんせ予約がいっぱいで、初診も受付を停止しているためいつになるか分からないと言われたが、何もしないで待つよりは良いだろうということで、お願いすることにした。

 

とはいえ新たな病院が相性が良かったとしても、手帳申請ができるのが6ヶ月後というのはなかなかにネックだった。一番の心配は通院費だ。どうにかならないかと調べていたら、初診日は別の病院であっても可、という記述を見つけた。つまり、6ヶ月間同じ病院に通い続けていなくても、別の病院で6ヶ月以上前の診察の記録が残っていれば申請はできる、ということらしかった。

 

ネットの情報だけでは不安なので担当職員の方に調べてもらったところ、診察時の主訴が同じであれば問題ない、という回答を得た。ただし、私の場合は通院自体が不定期なということもあり、通院していない期間は生活に問題がなかったと判断される可能性はあると言われた。つまり、申請してみないと分からないということだった。

 

季節も変わった頃、紹介先の病院の予約が取れたと連絡が来た。そうして初めて行ったのが数か月前の話だ。気の合いそうな医者で、親身で、優しかった。発達障害の確定診断も出来る病院だったので、鬱だけでなくADHDの話も聞いてもらえた。あらかじめ手帳の取得を希望していることも伝えていたため、初診時に申請用の診断書を渡し、2回目の診察で記入済みのものを渡してくれた。その診断書を持って役所へ行き、自立支援と手帳の申請をした。すんなりと受理されたが、内心不安だった。それでもやるべきことはやった。達成感はあった。

 

病院ではADHDは比較的軽度だね、と言われた。仕事で著しく困難なことはあまりない。もちろんある程度のミスはあるが許容範囲内だ。鬱と不眠のほうがひどかった。眠くなる作用があるという理由でインチュニブが処方された。ADHDの薬だ。効けば頭の中が整理されスムーズにできるようになると言われた。2週間飲んだが日中も眠くて仕方なくなってしまったのでやめてもらった。体が慣れていけば眠気も治まるかもしれないが、ちょうど仕事が繁忙期だったので時期的にもあまりよくなかった。その後SSRIを処方され、今も飲み続けている。気分が落ち着いて、無価値観に襲われることが減った。興味も回復してきた。今までの薬はなんだったのかと言いたくなるくらいよく効いている。ようやく自分に合う薬が見つかった。やっとたどり着いた…。

 

仕事が繁忙期だったこともあって、1日7時間勤務の日が度々あった。以前1日8時間勤務なんてできやしないと言っていたのに8時間働いている日さえあった。もちろん慣れない長時間勤務で集中力も切れて使い物にならない状態ではあったが。それでも不思議とつらくはなかった。ずっと仕事が楽しい。

 

職場の先輩に「発達障害なんです」と打ち明けた。「でもこれまで通り接してください」とも言った。個性の延長なら、言い訳にはならない。言い訳をするのは頑張れないときだけでいい。今は頑張れる。

 

「あなたの手帳引渡日は―――」

 

手帳発行の通知が来た。長かった。長かった。ずっと胸の真ん中にあった生きづらさが少し溶けた気がした。感慨深さと、安堵と。不安はなかった。精神がおかしくなっちゃってもゴミじゃない。知ってた?

 

自分が求めていた支援がなんだったのかはまだ分からない。胸を張れるような夢や目標が見つかったわけでもない。薬を飲んでいても時折虚しさを感じることはあるし、自己肯定感はたいして上がってない。3年後さえ分からない。10年後に生きてる自信はない。40年後くらいには死んでいたいとさえ思う。

 

それでも、今はまだ生きていたい。もっと仕事を覚えたいし、役に立ちたい。こんな自分でも社会に居場所があるって、信じていたい。

 

 

呪う8月

 

どんなに仕事が順調だって私の鬱には関係がないようだった。去年の夏からほぼ1年きっかり。また似たような呪いの言葉を吐かなくてはならない、吐かずにはいられない自分がここにいる。呪いじゃなかったらなんなんだ。

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嫌悪が募るたびに自分はこの人が死んだときに悲しむんだろうかと考える。むしろなにかの勢いで自分が手をかけてしまうのではないかと心配になる。もう一人が家に戻ってきたら、今度こそ私は殺意を露呈させてしまうかもしれない。こんな家族の結末はどうですか。

恐れていた事態が起こってしまった。 

 

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春が来る


もう2年も経ってしまった。何も見つけられないまま、何も得られた気がしないまま、就職先も見つからず、とにかく大学を卒業することだけを考えて、そうしてなんとか迎えることができた、卒業証書をもらったあの日から。

 

朝、生温い空気が否応なしに部屋を満たしていることに気付いた。春の湿った空気はずっとカラカラだった部屋を、たった半日で潤した。春特有の、焦りにも似たにおいを漂わせながら。

 

生きるのがつらくて、消えたくて、どこにも居場所がなくて、一人で、さびしくて、こわくて、自尊心と自己肯定感は不安で押しつぶされて跡形もなく消え去って、それでもほんの一抹の、生きて輝きたいという気持ちが、死んだように生きる私の原動力だったように思う。ちゃんと振り返ればきっとそれなりに頑張って生きていたと思うし、できる範囲で働いてたと思うし、どんなに苦しくても死なずにいた証左が今の自分で、きっと悪いことやつらいこともたくさんあったけど、がんばっていた自分もちゃんとそこにいたんだと思うんだけど、漠然と思い返すと暗闇の中に取り残された孤独な自分しか浮かばない。どうして。

 

いつから、とはっきり言うのは難しいけれど、今まで散々理想を押し付けては罵倒を繰り返していた母が最近は何も言ってこない。とても相性のいいバイト先を見つけたのが11月で、そこから週2程度で働き始め、今は5時間を週3日で働いている。家でゲームをしているとたいてい小言を言われていたけれど、今は特に言われない。ゲーム以外にも趣味や娯楽が増えたから、傍目から見たときのニート感が減った結果かもしれない。まぁ、どうでもいいけど。

 

働くのが楽しい。職場のお姉さんが優しい。フランチャイズの店で、店長は細かいことを気にしない。のびのびと出来る環境がとても心地良い。自分が受容されているのを感じる。これまでのアルバイトでは週2日で4時間も働けばいい方だった自分が、毎週3日で5時間も働いている。天職を見つけたような気分だった。でも、やっぱり週5日で働こうとは思えないし、1日に8時間も働きたくない。

 

もう、根本的に、一般的なその他大勢の人と私は違うのだ、と。薄々気付いてはいたけれど、はっきりと悟った。抑うつを引きずっているわけではなく、生来の性質として、目標を見出しづらく、曖昧な場所で全力を出すことができない。やりたくもないことをなあなあで我慢してやり続けるということが不可能。刹那主義よろしく、宵越しの金は持たねえと言わんばかりの将来不透明度500%。

 

経済弱者でいることのいたたまれなさ。周りの友人と同じスタートラインにさえ立てていなかった自分の情けなさ。不甲斐なさ。どれだけ文句を言っても、言われても、「親の金で生きてるんでしょ」という一言でガラガラと崩れてしまう足場のもろさ。

 

なんの因果か、好きなものを語るよりも不満を語るほうが饒舌で流暢になってしまう。誰もしあわせにならない。不幸自慢が得意なんて、しかも言うほど悲劇でもないこんな狭域の不幸と愚痴が趣味なんて、惨めすぎるだろ。

 

人恋しさに襲われる寒さはとうに和らいで、もはや熱気さえ感じてしまうほど日差しがまぶしい一日だった。桜が咲いた、咲かない、もう少し、まだかかりそう、なんて。世の中は春風に浮き足立って、新たな年度、新たな元号、新たに始まる何かに、期待をして、胸を膨らませて、きっと楽しいこと、嬉しいこと、幸せなことがたくさん起こると根拠のない自信を持って、笑ってる。これから何度の春を見送れば、自分もそっち側の人間になれるだろう。

 

植物には頂端分裂組織というものがあって、茎頂と根端にあるその組織では細胞がそれはそれはもう、たくさん、増殖する。花芽形成とか、もう忘れてしまったけれど、桜のつぼみを見ると、それを思いだしてぞわぞわする。

 

理想と現実の乖離があることは分かっていたけれど、自分が想像していた以上に現実を受け入れるのは難しいことだと痛感した。今だって、欲を言えば普通にフルタイムで働いて一人暮らしをして、親から干渉を受けずに気楽に生きていたかった。それがこんなにも、自分にとっては難しいだなんて思ってもいなかったのだから。

 

人生は選択の連続で、選択した世界と選択しなかった世界は無限の組み合わせで存在する。何を選ぶかなんて、そのときの自分次第だ。たとえ選べなかったとしても、バッドエンドが決定するわけではない。この世界はゲームじゃない。正解なんて存在しない。正しく生きたいけど、結局自分で正しいと思ったことしか正しくない。絶対悪なんて、本当はないのかもしれない。前にも同じことを言ったな。

 

しあわせになりたい。不幸になりたくない。なにがしあわせか分からない。生きていることがしあわせとは限らない。よね?

 

最近ずっと調子がよくて、しあわせだなって思ってたんだけど、自分の中にいるネガティブが久しぶりに目を覚まして、微笑んでる。やぁ、おはよう。

 

ADHDの診断も、ストラテラも、抗不安薬も、私の人生にたいして役に立たなかった。性質はそう簡単に変わらないし、変えようとも思えなくて、それよりももうどうしようもないと、諦めた方がよっぽど楽だった。薬との相性が悪かった。そうだ。どうしようもない。

 

いくら元気になってきたとは言え、完全にポジティブな人間になれるわけではない。勘違いしてはいけない。そもそもそんなこと望んでない。私は、どう足掻いても私なのだから。私が私でなくなったら、それはもう私じゃない。私以外私じゃないの。ってさ。

 

髪を染めた。金髪になった。トランプや、高須院長や、カズレーザーのような、明るい明るい金髪。眉毛は黒いし、おそらく似合ってないと思うけど。でも、一皮剥けたような気がして嬉しかった。自分は周りとは違うんだと、わざわざ言わなくても一目見て分かってもらえると思うととても気楽だ。もう我慢しなくていいんだ。そんな解放感の方が大きくて、恥ずかしさはあまり感じなかった。そもそも自分が周りからどう見えるかなんて、ずっと鏡でも持ってなきゃ分からない。金髪は目立つけど、視界に金髪の自分はいない。それくらいがちょうどいいだろ?

 

新たな出会いを心が求めてる。卒業式、入学式、クラス替え。春の香りを覚えてる。まるで前世の記憶みたいだ。

 

過去も未来も失う一方ではあるけれど、それでも少しは、自分の人生を歩めるようになったかな。生きるのが、ちょっとは楽になったかい?

 

 

呪詛のソ

母親から心ない言葉で殴られ、殴られ続け、理不尽で傲慢とも言えるその仕打ちから自分を守るために見えない壁と心の鍵をかけたはずなのだけれど、どうやら外耳の隙間から入り込んでしまったらしい。なんだかとても心が痛い。つらいんだ。

 

愛がないとか、Iがないとか、哀しかないとか。

 

私が金を無心したことは(記憶上おそらく)ないのだが、母からやたらと言われる。「金返せ」と。高校までは公立だった。塾に少し通った時期はあったが、都内の一般中流の平均程度だろう。平均なんて知らないが。大学進学を決めるときにも特に何か言われたことはなかった。周りが奨学金の話をしているのを聞いて、うちは平気なのだろうかと考えたことはあったが、親からは何も言われなかった。

 

学校に行けなくなったうつ真っ盛りの時期、部屋で寝込む私を見て母は「ずる休みをするために金を出したんじゃない」と吐き散らした。気晴らしにゲームをしてると「ゲームをさせるために金を出したんじゃない」と言う。

 

友人のおかげもあり、不登校時の影響はほとんどなく成績は良かった。それでも母は不満だったらしい。

 

大学卒業後はいろいろあった(記事)が、今は日本社会で働くことの意味を考えながら自分のペースで小遣い程度を稼いでいる。実家の世話になっているが、それでも食費以外は自分で出している。初心者向けよりちょっと良いアコギも買ったし、PS4だって自分で買ったさ。

 

気付いたかもしれないが、私はゲームが大好きだ。でも、母はゲームが大嫌いだ。勝手に部屋を覗いては「ゲームしかしてない」「そんなことする暇あるなら働け」と声を荒げる。テレビを観てる(振りをしている)ときは無言なのだから馬鹿らしい。趣味を取り上げたら働くとでも思ってるのだろうか。趣味すらなくなったら消費活動をするわけないじゃないか。消費するものがないのに働くわけないじゃないか。バカ野郎。

 

比較的落ち着いてるときに「バイトして100万くらい稼いだら?」と言われた。無言を返した。今が精一杯だということに気付いてないのだ。社会から落ちぶれて、社会を恨んで、それでもどうにか社会と繋がりを持ちたくて、必死に足掻いて資本主義の崖っぷちに掴まってることに、微塵も気付いてないのだ。別に気付いてほしいわけじゃないし、教えてあげたいなんてこれっぽっちも思わないが、健常者の母にはこの苦悩の存在すら考え至らないことに、軽く眩暈がした。

 

母は自分に呪いをかけた。世間体に恥じない存在でいること、核家族の模範でいること、自分の描く理想通りの家族でいること。失敗は認められない。私も呪いをかけられた。母の形代にさせられること。私の失敗は、母の失敗。形代としての役目を果たさない私を母は叱責する。できないのなら燃やすぞと言わんばかりに、恐怖政治を布こうとただただひたすらヒステリックに叫ぶ。能がない。なにもない。

 

母は気付かない。私が社会の常識に異議を唱える人間であること。

母は気付かない。私は母とは違う人間であること。

母は気付かない。私だって一生懸命生きようとしていること。

母は気付かない。自分が人として欠けていることに。

 

産んでもらって育ててもらった自分の母親にそこまで言う資格あるのか?とか、そんなこと言いながら親の金で暮らしてんだろとか、言われるんだろうな。

 

金さえ出せばどんな罵詈雑言を吐き捨ててもいいというその考えに反吐が出る。雨風を凌げる場所と食事さえ用意すれば人格を否定して自分の言いなりに出来る?現代日本でそんな奴隷制度が通用するとでも思っているのかよ。とんだレイシストだ。

 

「そんな(定職で働かずにいる)ことになるなら大学なんて行かなきゃよかったじゃん、金の無駄」と断言された。他の真っ当な人間の学歴差別をするつもりはないのだが、あぁ、これが高卒の無知の無知の極みだと思った。大学は就職予備校ではない。勉強をする場所だ。私にとってかけがえのない友人と出会い、専門性の高い学術研究に触れ、世の中を学問の力で発展させていくために知識と知恵を身に付けるために費やした人生の4年を、母は「金の無駄だった」と一蹴したのだ。それがどれだけ愚かな発言なのか、本人は知る由もないのだろう。なぜなら、高卒だから。バブル期の、高卒だから。

 

生活苦を理由に高卒を選んだ友人がいる。一概に高卒が不利になるなんて、どの口が言えようか。もう後輩に指導する立場の彼女は私より立派な社会人だ。ただ、かといって学士という経歴が、大学を卒業したという事実が無に帰すわけではないと思う。というか、人生で得たものを何で他人が無駄だと断言できるんだ。おかしいだろ。

 

母があともう少し、人の話を聞ける人間だったらどんなによかっただろう。もう私の言葉が届くことは、ないんだろうなぁ。私の思いが伝わることは、一生、ないんだろうなぁ。

 

祖母に言われた。「みんな人の話を聞かない子供だったんだよ」祖母のことは好きなので、少し胸がざわついた。続けざまに「父親(祖父)は酒を飲むと手が付けられなくて、人の話を聞かない人間だったよ」と言われた。あぁ、みんなそっちに似たのか。

 

来月が祖父の一周忌だ。そして、私の誕生月だ。

何の因果だろう。きっと何でもないんだろう。ただの偶然だ。

 

母の呪いをかけられた私が、呪詛を吐く。恨みつらみを、かなしい事実を、受け止めきれないから吐き出してしまう。ネットの海へ放流された呪詛はどこに辿りつくのだろう。こんな方法しか選べない自分が悲しい。誰かの心を穢してしまうことも悲しい。母が呪いをかけてしまったことも、その呪いを解くことを諦めてしまった私の弱さも、哀しい。

 

鋭利な言葉で傷つけらると死を考える。私の死。母の死。父の死。

 

遺書なんて残すのも面倒だ。お前のせいだ。死んでやると言って目の前で死んだら母は何を思うんだろう。勝手に気が狂った人間の自殺だと思うのだろうか。私の盛大な失敗で母は過ちに気付くだろうか。

 

私の人生をなんだと思ってるんだと叫びながら頸を絞める想像をしては、だんだんと鮮明になってゆくイメージに取り憑かれそうになる。いつかのニュースで家族内の怨恨が原因の殺人事件についてやっていた時、母は笑って「殺さないでよ」と言った。全然笑い事じゃないんだけどなぁと思いながら、私は「わかんないよ」と答えた。

 

この期に及んで父親にまで飛び火したのかと思われるかもしれないがそれは違う。いや、正確に言えば違う訳ではないのだが、そもそもはじめの火元は父だった。頭がおかしいので話が通じない。今思えば言葉を聞き取ってくれるだけまだ母よりマシかもしれないが、母が週間隔ぐらいで爆撃してくるのに対して、父は理由もなく毎日ピストルで撃ってくる。多少の応戦ができるという意味ではマシだが、そもそも応戦する必要性がない方がいいに決まってる。今は物理的に距離が離れてるから問題ないのだが、近く帰還するかもしれず憂鬱でしかない。はじめに明確な殺意を覚えたのが父だというのに。ということで、母に加えて父まで乱入してきたら私は理性を保てる自信がない。

 

死ぬとか殺意とか、中二病かよwで済んだら、いいんだけどなぁ。

 

核家族が幸せだなんて幻想だ。

幻想を担がされて人生が終わるなんて冗談じゃない。

無為に人格を否定され、人生を否定され、生活まで脅かすような人間の近くに誰が好き好んでいると思うんだろう。

自立できるのならとっくにしてるし、その暁には一切の連絡手段を絶ちたいぐらいだ。

 

 

家族だから愛してるだなんて、思い上がりもいい加減にしろよ。

誰も愛してなんかいないんだ。

 

砂上の楼閣で家族ごっこか?

自分が得られなかったものを勝手に他人に託して期待して求めるな。

ふざけるな。私の人生だ。

 

 

無知と悪意の無自覚

こんなことをしてもきっと誰も幸せにならないんだろうけど、いや、私の居場所のない怒りはいくらか救われるんだろうか。わからないけど。それでもこれは残しておかなきゃいけない気がする。せめてもの抵抗なのかもしれない。全世界に公開する必要性はないのかもしれないけれど。今はそんなことはどうでもいい。

 

「あんた、かわいそうだね」

「世の中には手がなくても足がなくても心がなくても働いてる人はたくさんいるんだよ」

「あんたはやる気がないだけじゃん。怠けてるだけ」

 

いつもいつも、なんというか、それしか言うことないのかと思ってしまう。聞き流しながら、心がないひとってなに…心ないのはあんたやん…と思った。ブーメランになるかもとか気にしたらなにも言えなくなるだろうから今はそんなことは考えない。

 

本当に、本当に、この人は私のことを理解しようなんて気持ちはこれっぽっちも、…仮にあったとしてもほぼ無いに等しい見えるか見えないかぐらいの誤差の範囲程度しか、ないんだろう。あるのは自分の遺伝子を半分受け継いでいる世間に顔向けできない穀潰しの醜い出来損ないを、如何に家から追い出せるかという考えだけなんだろう。

 

まさに親子ほどの年齢が離れた、180℃以上違う方向を見ている人間だから理解しあえないんじゃない。歩み寄ろうという気が無いから分かり合えないんだって。知ってるけれど私はもう歩み寄る体力は残ってないんだよ。反発して逃げて叫ぶ人にはもう近づけない。自分の尊厳を守るために。

 

分かった風な口を利かれるのにはうんざりだ。口喧嘩にもならずに一方的な中傷をまるで自分が被害者のような顔で叫ばれるのもうんざりだ。

 

嫌悪が募るたびに自分はこの人が死んだときに悲しむんだろうかと考える。むしろなにかの勢いで自分が手をかけてしまうのではないかと心配になる。もう一人が家に戻ってきたら、今度こそ私は殺意を露呈させてしまうかもしれない。こんな家族の結末はどうですか。

 

今はただ環境を変えられればどんなにいいかと思う。なにも嫌悪せずに、殺意など湧かずにただ穏やかな日常を手にれられたらどんなにいいかと。

 

つまらないことに振り回されて疲れてしまった。時間を無駄にしてしまった。私の自尊心よりもさらに小さな存在に脅かされて自分の中にいる女の子が泣いている。誰にも分かってもらえない、居場所がないと泣いている。悪意に曝される度にその涙が私の目からも溢れそうになる。

 

無知は罪だが知れば釈放だ。でも無知の無知はただの罪だ。その上悪意で人を嬲って品位を貶めるのは重罪だ。無自覚を自覚させるために誰が生贄になるっていうんだ?

 

「早く死ぬだろうから、残るあんたを心配してる」

 

ああ、死刑を望むのは新たな被害者が増えないからだよな。無差別で突然幸せも未来も奪われたから、遺族が望むんだよな。怨恨の衝動的な殺人はよくて終身刑かな。知らないけど。

 

親は自分のことを愛していると信じて疑わなかった頃が懐かしい。結局あれも理想の押し付けでしかなかったとしか思えないし、今は哀しか感じない。

 

 

1年後の記事

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ストラテラ25mgを飲み始めた

うつがひどくなってきてそろそろ自分ではどうしようもなくなってきたので割とまともそうな精神科を予約した。その前にちょうど障害年金の話もざっと聞いてきて、20歳前に初診日があるので今の年金納付状況は加味されずに申請できますよと言われた。

 

いろんな病院に行っていろんなこと言われたから、もう発達障害じゃなくてうつで障害年金もらえたら少しは楽になるんじゃないかなんて縋るような気持ちだった。障害年金の申請は社労士に手伝ってもらった方がいいというのをネットで見かけたので、そうした方がいいんですか?と聞いたら「わざわざお金かけて社労士を雇わなくてもできると思いますよ」と言われた。

 

障害年金の申請は「①初診日の証明書②現在の診断書③申立書④年金請求書」の書類が必要で、①と②以外は自分で書かなければいけない。そして最も重要なのが②の診断書で、これと③の申立書の内容で障害年金がもらえるかどうかが決まる。基礎年金であれば一人暮らしを想定したときに日常生活が送れるか、仕事ができるかが争点となる。つまり、診断書で適当に「生活に支障はないし仕事もそれなりにできてる」とか書かれるとまずもらえない。要するに、診断書は受給資格に沿って書いてもらう必要がある。もちろん嘘をつけと言う話ではない。自分の出来ないことを明確にしてもらわなければいけない。そのため、医師と相談する必要性がある。ただでさえ医師との相性が治療を大きく左右する精神科で、障害年金の診断書にも協力的になってくれる医師というのはおそらく少ないのではないか。目に見えない精神障害でなおかつ発達障害のような比較的新しくちゃんと診察ができる医師が極端に少ない現状を目の当たりにした今、手を差し伸べてもらえる人間はほんの一握りだろうと思う。

 

少しの期待を胸に秘めて病院へ行った。ADHDの簡易スケールを先に受け、うつ症状が出ていること、ADHDの諸症状に自覚があること、これまでの生育歴を話した。医師は発達障害は専門ではないがと前置きしつつも、「これだけ自覚症状もあり信頼性のある簡易スケールでも結果が出ているのだからADHDでしょう」と言った。「うつ症状は発達障害の二次障害だから発達障害の症状を薬で緩和できればうつ症状もよくなるでしょう」と言われた。そうして出されたのがストラテラだった。ネットで調べると衝動性を抑える薬だから抑うつ状態は悪化する可能性があるとか書かれているので心配だが、とりあえず試してみないことにはどう作用するか分からない。ただひとつだけ、薬価が高いのがネックだった。一錠400円前後。診察料と合わせると月10000円以上かかる。自立支援医療について聞いたら「一ヶ月は来てもらわないと」ということだったが、帰宅後ネットで調べると特に通院期間の定めはないらしい。まぁ初診で診断書を書いてもらうのは流石に無理だと思いつつ、それでも一ヶ月で10000円は高負担だ。今は収入がほぼないに等しいのでなおさらだ。次の診察が来週なのでどうにか早めに申請できないか聞いてみたいと思う。

 

ストラテラの他に胃薬と抗不安薬を処方された。胃薬はストラテラの悪心対策で抗不安薬ストラテラが安定するまでの補助的な役割らしい。ともかくストラテラを初日飲んでみたが、どうにも眠い。あくびも止まらないほどでないが、かなりでた。25mgということもあってか特に冴え渡るような感覚はなかった。発達障害に多いという貧乏ゆすりもとい、私がよくやる音楽に合わせて延々とリズムをとることもいつもどおりやっていた。あとは食欲は夏バテもあって日中はかなり落ちてるが、夜はしっかり食べることができた。先日は熱中症で寝込んだこともあって正直今食欲がなくなるのは体力面でかなりヤバイのだがどうなるか。そもそも高すぎる薬をいつまで買えるかも不明だが。

 

金が稼げない。経済的な自立ができない。社会に適応できない。社会の常識で生きるなんて私には無理だ。なんで一日8時間も働かなくちゃいけないんだ。なんで週に5日も働かなくちゃいけないんだ。でもどこにも居場所がない今の状態もつらすぎる。適応できる場所を探そうにも探す気がおきない。能動的にやろうという気持ちがない。今まで散々社会に否定されてきたのに今更なにを信じればいい。どうして「きっとどこかで受け入れてくれる会社が見つかる」なんてなんの確証もない期待を持てると思うんだ。こんな自分を雇うなんてリスク以外のなにものでもないし、同時にこうして社会から見放されている自分がかわいそうだ。でもどうしようもない。生きる希望もないしやりたいこともない。いっそのこと殺してくれと思ってしまう一方で死ぬのが怖い。なにも残さず消えたい気持ちの底でなにも残せない自分の存在価値の低さが情けなくて無気力にしかならない。

 

 

ゆううつなにっき

どうしてこんなに悲しいんだろう。

とか言うと「なに悲劇のヒロインぶってんだよ」って後ろから声が聞こえる。でも振り向いてもそこには誰もいなかった。するとまた後ろから「そういう時もあるよ。仕方ないじゃん」って誰かが言う。全部誰かに言われそうな言葉で、誰かに言ってほしい言葉なんだろう。

 

どんなに検査をしても、どんなにいろんな人の話を聞いても、私はまだなにも答えを見つけ出せずにいて、だからどこにも歩けずに立ち止まっているんだと思う。なんでもいいからやってみろっていう言葉を信じてなにか始めても、結局飽きてしまう未来しか想像できなくて、そんなことばっか考えてるから続くものも続かないのかもしれない。自分が分からない。

 

将来とか未来とか夢とか希望とか、そういうものは自分は一生手に入れることができないんじゃないかという気さえしてくる。私は私にしかなれないし、今の私は今以上の私になれる気がしない。どうしてみんな生きているんだろう。何が楽しくて生きているんだろう。日々の生活にどれだけ満足しているのだろう。どうしてそんなに頑張って働けるの。

 

いいから働けという言葉も理解できるし、結局今なにもしていない状況のせいで落ち込んでいるのは多少なりともあると思うし、あたまでっかちというかひたすら解決しない問題に悩んでいるのも思い返せばいつものことだったりして。動けばいいというのは分かるんだけど。分かるんだけど。どこに行く気力もなくなってしまった気がするんだ。

 

これだけの人間がいれば社会に適応できない人間がいてもおかしくないじゃないか。開き直って元気になれるなら開き直るべきで、でもここまできても私は全然元気じゃないから、きっと別の解決法を探らなきゃいけないんだろうなって。社会適応というと幅が広すぎるな。生に対しての貪欲さのなさが根底にある気がするけど、どうだろう。生きていることは楽しいと思う。人がいて、動物がいて、植物がいて、良くも悪くも日々変化していて、心が弾むことが起きるから。楽しいはずなのに。

 

みんなが走っている生きるためのレールがどうにも自分には合ってない気がして、それでも頑張って走ろうとしたんだけど初っ端でつまずいて、なんとか横道を見つけて追いつこうとしてるんだけど、ふとどうして自分は走ってるんだろうとか考えちゃって。「この素晴らしい場所を世界中の人に知ってほしい」と一人旅立った友人の話を聞きながら、自分もそんな一生をかけて打ち込めるようなものに出会えたら、幸せになれたんだろうかとか思った。

 

まさかこんなところでつまづくとは思わなかったんだ。嘆いてもしょうがないのだけど、「普通」になれない情けなさと「普通」じゃない誇らしさに揺れている。そしてそんなこととは別に、ひたすら悲しさに包まれている。うつかよ。

 

「仕事辞めたい」ってみんな言ってる。辞めればいいじゃん。さっさと辞めて新しい仕事見つければいいじゃん。私は仕事をする気力もないよ。続ける気力もないよ。みんなよく続けてるなと思うよ。甘ちゃんでもなんでもいいよ。ただの情緒不安定のニートだよ。

 

知能検査の結果が最高で121を叩きだして、まぁちょっとは地頭がいいらしいと少し嬉しかったのだけど。それが裏目に出てしまったのは想定内とはいえ無理解の現実を叩きつけられたようで落ち込んだ。診察はお金もかかる。薬もお金がかかる。働けないって言ってんだろ。そんな金ないってば。

 

病気だという診断がないなら元気じゃないかっていうのおかしいと思うんだ。命題の逆も裏も真とは限らないのだから。体はたしかに動くけど、手も足も動かせるけど、ただ動くだけじゃ生きていけないって知らないんでしょうね。

 

分かってる。こんな自傷はいつものことで、自分がどうしても惨めで生きることがとてつもなくプレッシャーで、生産性のない自分は生きていてはいけないと強迫観念に襲われて、それでも死にたくないから、生きていたいから、「元気そうに見えるかもしれないけどこんなに苦しんでるんです、お願いだから殺さないで」って言い訳をしていること。

 

どうして人は生きているんだろう。どうしてここまでの知能を獲得してしまったのだろう。なぜ社会不適合者に選ばれてしまったのだろう。病気と一緒で、誰も悪くなくて、でも苦しくて仕方がないこれをなんと言えばいい。この生きづらさとどう生きていけばいい。

 

うつだと言うのは簡単で、うつの薬をもらうのも簡単で、でも薬にかかるお金を稼ぐのはとても難しくて、そしてそのうつの薬で心を治すことはもっと難しい。

 

世の中にはいろんな人がいる。私はその中の一人に入っているんだろうか。認めてほしい一方でひっそりと消えたい気持ちに駆られて、どこにも行けない心が涙をこぼす。

 

そんな5月病の憂鬱。